今回は「正味の自分」について考察してみようと思います。
正味の自分とは
私達は普段、自分を忘れて一心不乱に何かに集中するということがあるでしょうか。その状態の時の自分を感じてみましょう。
無我夢中になっている自分
私がアクセサリーをデザインする時、作業する前に頭の中で、季節感、実用性、天然石の色の組み合わせ、石同士の相性などを考えながら、完成品をイメージします。
しかし、いざ作業に入ると、そのイメージは頭からなくなり、ただ、石やパーツを組み合わせて、テグスや紐で通すことだけを無我夢中にしている自分がいます。
道元禅師の言葉
道元禅師は
『仏教を習うとことは、自分を習うことなり。自分を習うということは、自分を忘れることなり』
と言っています。
「損得抜き」で考えればもっと楽しめる
例えば、最初は仕事の役に立つためや、時代の流れに合うという計算があって始めた中国語がだんだん面白くなり、中国の易学の陰陽学、四季の養生学、古典文学などまでが趣味となり広がっていく。
休暇には中国人の生活に足を運び、人々との触れ合う中でそれらを学ぶのが、無類の喜びになる、といったことがあるかもしれません。そこには計算ずくでない自分がいます。
余計なものをまとっていない“正味の自分”
それは欲やら得やらという余計なものをまとっていない。“正味の自分”ということでしょう。
そんな正味の自分とどれほど出会えるか、正味の自分をどれほど感じられるか・・・それこそが、人生の勝負所だという気がします。
抛掉得失,才能感觉到真正的愉悦
—–“记住自我”就是“忘却自我”—–
真正的快乐就是一心不乱地投入进去
在创作项链、手链等装饰品时,心里一直想着季节性、适用性、颜色搭配、石头之间的对应等等,这时脑海里同时也浮现出来了一个成品。可一旦进入制作状态时,想像出来的样品,会抛到九霄云外全部消失,此时整个身心都会集中在部品(天然石头)的穿插衔接之中。
道元禅师言:佛道学习的是,学习自己;学习自己也就是忘记自己。
大家都有过忘记自我,全心全意地投入的时候吧?比如:最初只是计算着是为了将来的工作,跟上时代的脉搏去学习汉语。如果越学越有趣,将您的爱好扩大到中国易经阴阳文化、四季养生、古典文化;余暇时走进中国人的生活中,通过实地的亲身交流,会感到无比的幸福与快乐。因为在这里有个没有计算得失的你。 此时才是无欲无求无得无失,进入一种忘我的愉悦境界!在人生轨迹中,能相遇过体会过几次这样的“真真正正”的自己呢?我感觉此处才是让我们成长的胜负之地!